学校案内
校長あいさつ
自主性に富み 創造性豊かな子どもをめざして
本校は,県道35号線を隔てて南に朝日川が流れ,周囲を緑に囲まれた閑静な場所にあります。時折鳥のさえずりが聞こえる恵まれた環境の中で,子ども達は毎日のびのびと学校生活を送っています。
明治34年に現在地へ校舎を建設以来,地域の教育・文化の拠点として時代の変遷と共に歩んできました。これまでに,多くの優れた先輩諸兄を輩出し,教育関係者や地域の皆様に支えられながら,長い歴史の中で輝かしい伝統を築いてきました。
旭小学校では「自主性に富み 創造性豊かな子ども」~目標に向かって努力する旭小の子~を学校教育目標として掲げ,具体目標やめざす学校像・教師像を拠り所として,学校教育目標の具現化に向け組織的・計画的に教育活動を行っています。
本校の特徴的な教育活動としては,
○学力向上のための取組…「伝え合う力(読解力)」を学力の重要な要素と捉えた学力向上のための研究・実践。
○環境教育への取組…校舎内外の環境を守るための美化活動をはじめ,「ムササビの餌やり」をはじめとする動植物の,長年にわたる愛護活動。
○「しなやかな心」を育む取組…児童会によるおもいやりを持たせるための取組や生徒指導に関わっての「友だちの良さを認める」取組,学校だよりを通しての「家読」についてのお知らせ,など。
○「自己有用感」を育む取組…子ども達を「認め,励まし,ほめる教育」を基本においた「自己有用感」を育む取組があります。
また,小規模校としての課題である「人間関係の固定化」,「集団への適応能力の不足」などについても,教育活動の様々な機会を通してその克服に努めています。
概要
名称 | 都留市立旭小学校
|
所在地
| 〒402-0014
山梨県都留市朝日馬場544番地
|
電話番号 | 0554-48-2008
|
FAX番号 | 0554-48-2771
|
校長 | 福永 明彦
|
創立年月日 | 明治34年7月8日
|
学校経営について
令和4年度 都留市立旭小学校学校経営
自主性に富み 創造性豊かな子ども ~目標に向かって努力する旭小の子~ |
(3)D:具体的な今年度のプロジェクトの確実な実施
(4)C:各種調査(学校評価等)に基づいた総合的チェック
(5)A:令和5年度への引き継ぎ(学力,体力,生徒指導,コミュニティ・スクール,安全等)
沿革
明治
明治 7年 | 法能学校分校開校(盛里地内馬場・曽雌・与縄の三か所に) |
9年 | 盛里学校として独立 |
12年 | 盛里公立小学校となり本光寺を仮用 |
17年 | 再び三吉尋常小学校盛里分校となる |
20年 | 三吉と分離し、再び独立した盛里公立小学校となる |
22年 | 盛里尋常小学校と改称 |
25年 | 旭尋常小学校と改称、石船神社神楽殿を仮用 |
34年 | 盛里村立旭尋常高等小学校と改称(高等科を設置) 現在地(朝日馬場五四四番地)に新校舎を建設する |
40年 | 尋常科修業年限を四年から六年に延長(就学児童増加) |
大正
大正 2年 | 校地拡張、2階建4教室増築 |
7年 | 校舎増築 |
昭和
昭和 16年 | 盛里村立旭国民学校と改称 |
22年 | 盛里村立旭小学校と改称、盛里中学校併設 |
26年 | 盛里中学校分離移転 |
27年 | 二宮金二郎の石像設立 |
29年 | 町村合併により都留市立旭小学校と改称、学校林に植林 |
30年 | 校旗、校歌を制定する |
35年 | 校舎改築、校地拡張 |
平成
平成 2年 | 遊具施設、健康児童像、飼育小屋、池等完成 |
5年 | 校名旗新調、百葉箱設置、ボランティア活動推進校指定(3年間) |
7年 | プ-ル温水シャワ-設置、パソコン増設、藤棚完成 体育館渡りの雨よけ側板設置 |
8年 | 図書館司書配置開始、ボランティア活動推進校指定(3年間) プ-ル塗装、通学路表示看板掲示 |
9年 | 県道沿石垣コンクリート改修工事、学校林間採 体育館新ワイヤレス受信機設置、体育館1F屋根再防水工事 、プールに日除け用屋根設置 |
11年 | リニアに6年生試乗 |
12年 | 新パソコン設置、インターネット使用開始(ホームページ開設) 体育館屋根及びドアの再塗装 |
13年 | 現在地へ校舎を建設してから百年の経過を記念しての記念碑完成、記念歌完成、記念式典開催 |
15年 | 「環境省自然環境局長賞」受賞(環境省など主催の全国野生生物保護実績発表会) 音楽室のカーペットの張り替え、FF式ストーブの入れ替え |
17年 | パソコン教室に20台の児童用パソコン設置 |
18年 | 校庭車道の舗装、放送室のカーペットの張り替え、職員室西側壁の張り替え |
ムササビの保護活動

1.はじめに
旭小学校は、都留市の南東部に位置し、東は上野原市秋山、南を道志村に隣接した地区です。この地域は、周りを山に囲まれ、上野原市秋山と都留市内を結ぶ県道を中心に村落が点在しています。南西から朝日川、北西から大平川が流れ交わる三角州の台地に学校があります。田畑には猪よけの柵が幾重にも囲み、大平川には、ヤマメなどの魚が泳ぎ、朝日川には、毎年、蛍が飛び交う豊かな自然が残っている地域です。この地の歴史は古く、小学校の校舎は縄文時代の尾咲原遺跡の上に立ち、建設地から土器類が数多く発見され、敷地内には竪穴住居が復元されています。学校の南西には民家と道路を挟んでムササビの住んでいる石船神社の森があります。豊かな自然に恵まれた地域ではありますが、人間が知らずにムササビの生活圏を脅かしてきました。そのため、旭小学校では、長年保護活動に取り組んできました。
2.ムササビの保護活動が始まった経緯
昭和58年(1983年)の2月に都留文科大学の動物学教室の今泉吉晴先生と学生が旭小学校で「ムササビ教室」を開きました。そこで初めて、石船神社にムササビがいることと大平川の工事の時、クヌギや栗などの木が60本切られ、ムササビが餌場にいけなく困っていることを知りました。 石船神社には御神木のケヤキの大木が数本ありますが、大平川の工事後、そのケヤキの芽をムササビが食べて枯らしてしまうので、一時は消防団が放水して追い出そうとしたこともありました。当時の旭小学校の児童が、その話を聞いて、児童会で「ムササビにおいしいものを食べさてあげたい。ぼくたちのできることで、ムササビを救おう。」と決め、全校児童で活動してきたことにより、今日まで20年以上間続く取組となっています。
3.保護活動のねらい
ムササビの保護活動を通して、自然を慈しみ、他者を思いやる心を育てることをねらいとしています。そのために、・石船神社のムササビが自由に空を飛んで、森の餌場までいける日を目指して保護活動を続けています。・旭小学校の保護活動が毎年続くように上級生から下級生に伝えていきます。これらのねらいを達成するために次のような活動をしています。

4.保護活動の内容
(1)ムササビの餌やり
①昭和58年(1983年) 10月4日、6年生が初めてムササビに餌やりを始めました。11月7日、ムササビが初めて餌台にやってきてドングリを食べるようになりました。どんな餌をよく食べるか、試行錯誤を繰り返す中で、ムササビがドングリを好むことがわかりました。ムササビがドングリの餌を食べるようになり、ケヤキの小枝が落ちる数が大幅に減ってきました。
②昭和59年 ムササビに子どもが生まれました。餌台を3か所に増やしました。
③昭和60年 ムササビの餌やりやドングリ拾い、ムササビ観察会などの保護活動の骨格ができました。
④平成6年(1994年) 6年生中心の餌やりから全校児童による縦割り班の餌やりになりました。
⑤平成15年 5月2日の児童総会で餌やりの方法が提案・決定され、全校児童の総意で始まりました。 全校児童の縦割り班の当番(4~6年生)が、週1回交代で餌やりをします。毎週火曜日に、ドングリをバケツに入れ、シラカシに設置した餌台にドングリを置いてきます。この年,環境省など主催の全国野生生物保護実績発表会で「環境省自然環境局長賞」を受賞しました。
(2)ドングリの木の植樹
平成13年、大月林務事務所の方をお迎えし、学校の向かいにある山の斜面に、クヌギなどのドングリの実のなる木を30本植えました。その後、シラカシ5本、アラカシ5本、クヌギ3本、コナラ3本を6年生の児童が植えました。「ムササビと森を守る会」(会長 中川雄三氏)やボランティア団体「芙蓉の会」が大平川の土手を中心に20年前から植林をしています。
(3)ムササビ観察会
20年前から旭小学校の6年生を中心にムササビ観察会が始まりました。昭和61年2月7日には、6年生と5年生がムササビの合同観察会を石船神社で開催しました。この日の観察会でムササビが5匹いることを確認しました。現在は、親子ムササビ観察会を年に1回開催しています。
交通アクセス
アクセス:禾生駅から5km